高松塚古墳壁画修復作業公開
高松塚古墳壁画修復作業公開を見に明日香に行ってきました。
10分のガイダンスがあって高松塚古墳の概要、壁画保存のための修復の説明のあと修復作業を行っている現場でホンモノの壁画を見ることができました。
壁画は縦に3列、横に4個(天井を含む)を机の上に置き、温度24度、湿度50%に制御された部屋の中でカビや泥、微生物の除去をしています。見学はその修復部屋の外からガラス越しでした。
壁画は寝かせた状態で置いてあるので実際に見えるのは前列の飛鳥美人、玄武と青龍のみです。個人的には星宿を見たかったので残念でしたが、1300年以上も前に描かれた壁画が自分の目の前にあるだけで感激
それも思った以上に極彩色が残っていること、実物の石の大きさに再び感激しました。
小さいものでも5トンある石の迫力に接すると驚きとともに単純な疑問が湧きます。
たとえば、この壮大な高松塚古墳は誰の指示で、何のために作ったのか、誰が造営したのか、石に描く技術は誰が持っていたのか。
石を切り出し、運び、極彩色の壁画を描く労力を賄う財力は誰が負担したのか。被葬者とはどんな関係があったのか?
これだけの作業を賄う財力がどの氏族にもあったとは思えないですよね。
ここからは勝手な空想になりますが、やはりあの四神は皇子クラスのため、としか思えませんし、死亡年齢から今、候補にあがっている高市、忍壁、弓削の3人の皇子のうち、あれだけの財力がバックに見えるのは高市だけかな?と。
息子の長屋王の途轍もない豪奢な暮らしぶりは立証されているし、財を賄っていたのは長屋の父である高市の実家宗像氏だし、宗像氏が交易をしていたこともわかっている。
だとしたら財を供出したのは宗像氏、と考えても妥当な気もしますが、ただ、石に絵を描く技術まで持っていたのかは考える余地があります。
学芸員さんの説明ではハイテク技術を駆使して顔料の研究も進められているとのこと、それがわかってくれば、技術面を担当した人たちの姿が見えてくるかもしれないですね♪
もし、技術面を担当した集団が財を供出できるような集団ではなかったとしたら双方の関連は如何に??
集団①と②の結びつきの中から隠れていたつながりが浮き出て、今までとは違った歴史解釈が生まれるかもしれません。
この写真は現在の高松塚古墳です。
最初の概要説明の中では、古墳の中の湿度は100%と言ってました。修復された壁画は元の場所に戻すことを前提としているそうですが、コンピュータ制御された湿度50%の環境で8年も作業を続けたものを元に戻すことは不可能じゃないでしょうか。
学芸員さんも先が見えないので言葉を濁していましたが、今の状態を維持できる場所で保存するしかないような。
でも、何故、あの壁画を施したのか、造営に関わった人の思い入れや被葬者のことを考えるとそれは違うようにも感じます。
この他にも入鹿の首塚を見つつ、やっぱり彼の実際の遭難場所はここじゃないか!とか、
甘樫丘と小墾田宮跡、浄御原宮跡などの近さを感じると大津京が奇異に思え、天智天皇の謎の空想に耽ったり、
飛鳥坐神社の石像に微妙な表情になりつつも古代の信仰の一端を感じたり、
と、いろいろ歴史頭を刺激された4時間だけの明日香滞在でした。
壁画公開で折が良かったのでニアミスだったブログ友達もいらっしゃいましたね![]()
いつの日か、明日香を愛してやまない方々とたくさんの妄想話をしながら史跡を見たい!と願っています![]()
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